2026/09/30 トイザらス日本撤退に思う 町の小さなおもちゃさんの記憶
スマホを見ていたら、「トイザらス、日本から完全撤退」というニュースが目に入った。
なんだか、いろんな記憶が一気によみがえってきた。
小学2年生のとき、宮崎から大阪へ引っ越してきた。
宮崎にいた頃は、近所におもちゃ屋なんてなかった。ところが、大阪の新しい家の周りには、歩いて行けるおもちゃ屋が2軒もあった。
大阪市港区、繁栄商店街東端の「はるこま」と、より思い出が有るのが南市岡11番街の「あずまや」だ。
子どもの僕にとって、そこはまさに夢の場所だった。
店の中には、今のようなテレビゲームやファミコンなんて、まだ存在していなかった。
ポケットに入るような小さなゲームやボードゲーム、超合金やキャラクターのおもちゃ、プラモデルなどが、所狭しと並んでいた。
季節によって、店の景色も変わった。
夏になると、店先にはビーチボールや浮き輪が並ぶ。
自転車まで売っていた。
正月が近づくと、ゲイラカイトや羽子板なんかが店先を飾っていた。
あの頃、町にあるお店のほとんどは、大人のためのお店だった。
八百屋も、魚屋も、電気屋も、洋服屋も、基本的には大人が買い物をする場所。
でも、おもちゃ屋だけは違った。
そこは、子どものためのお店だった。
だから僕は、一人でも堂々と入っていけた。
誰に遠慮することもなく、棚を眺め、商品を手に取り、どれを買おうか悩む。
「ここは僕たちの場所なんだ」という、ちょっとした優越感みたいなものもあったのかもしれない。
僕はお小遣いを握りしめて、何度もその店へ通った。
狭い店内を歩き回って、どれを買おうか悩む。
結局、何も買えずに帰ることもあった。
当時は、きっと悔しかったんだと思う。
でも、今振り返ってみると、それも含めて楽しかったんだろうなと思う。
そのおもちゃ屋には、高校生になるまで通っていた。
中学生の頃には、プラモデル大会がよく開かれていた。
僕も、そのお店でプラモデルを買ってきて、家で色を塗ったり、いろいろ工夫したりして、それを大会に出品した。
そして高校生になった頃、僕はそのおもちゃ屋でアルバイトをすることになった。
子どもの頃には客として見ていた店を、今度は店員側から見ることになった。
その頃には、おもちゃ屋の景色も少しずつ変わり始めていた。
任天堂がゲーム&ウオッチを発売すると、あれよあれよという間に、バンダイやタカトクトイス、トミーなど、いろんな玩具メーカーからLCDやELを使ったポータブルゲームが発売され、店頭に並ぶようになった。
子どもの頃に僕が眺めていたおもちゃ屋に、今度は電子ゲームがどんどん増えていった。
レジの向こうには、楽しそうにおもちゃを選ぶ子どもたちがいる。
プレゼントを探しに来る親御さんがいる。
店主のおじさんと、何気ない会話をする。
今になって思えば、あのおもちゃ屋は、単に商品を売っている場所ではなかったんだと思う。
子どもたちにとっての、小さな夢の場所だった。
そして、町の中にある温かい場所だった。
でも、時代は変わっていった。
1990年代に入り、大規模小売店舗法の規制緩和などを背景に、1991年にはトイザらスが日本に上陸した。
当時のことを思い返してみると、僕自身は、そんなに深く考えていなかった。
大きな店ができて、便利な店が増える。
いろんな商品がたくさん並んでいて、しかも安い。
「便利な店がいっぱい増えるんだから、いいんじゃないか」
そんな程度に思っていた。
それで商売ができなくなって潰れてしまう店があるとしても、「商売のやり方が下手だったんじゃないか」くらいにしか考えていなかったと思う。
まさか、その先に自分が子どもの頃から通っていたおもちゃ屋がなくなることまで、つながっているとは思っていなかった。
そして、今思えば僕自身も、トイザらスを利用していた。
自分が親になってから、子どもを連れてトイザらスに行ったことがある。
一度や二度じゃない。
子どもが喜ぶ顔を見ながら、たくさんのおもちゃが並んだ大きな店で買い物をしていた。
そのときは、そんなことまで考えていなかった。
でも今振り返ると、僕自身も町のおもちゃ屋に対しての「裏切り者」だったのかもしれないなと思う。
もちろん、今になって当時の自分を責めても仕方がない。
でも、後悔はある。
あの頃、もっと違う見方ができていたらと思う。
自分が子どもの頃に通っていた、あのおもちゃ屋がどういう思いで商売を続けていたのか。
そして、自分自身もその店で買い物をしていたのに、親になった僕はトイザらスに子どもを連れて行っていた。
そう考えると、やっぱり複雑な気持ちになる。
その時代には、その時代の見え方があった。
でも、あれから何十年も経った今、振り返ってみると、少し違って見える。
あれは単に「便利な大型店が増えた」という話ではなかったんじゃないか。
日本の町にあった小さな商売のあり方が、大きく変わっていった時代だった。
そして、その変化の先にトイザらスの日本進出があり、僕が子どもの頃に通ったおもちゃ屋も、その波に飲み込まれていった。
今の僕には、あの頃の出来事が、アメリカに日本が負けたことの一つだったようにも思える。
もちろん、そんな単純な話ではないことも分かっている。
でも、子どもの頃に「夢の場所」だったおもちゃ屋がなくなり、そのきっかけになったと思っていた巨大なおもちゃ店まで、今度は日本から去っていく。
そう考えると、なんとも皮肉な話だなと思う。
そして、あのおもちゃ屋も、10年ほど前についに店を閉めることになった。
最後に挨拶に行ったとき、店主のおじさんがぽつりと言った。
「トイザらスさえ来なければ、こんなことにはならなかったのに……」
その言葉を聞いたとき、胸にぐっと来るものがあった。
きっと、そういう思いを抱えながら、それでも長い間、お店を続けてきたんだろうなと思った。
おじさんの話では、当時、おもちゃ問屋がメーカーから入荷する売れ筋のおもちゃを、トイザらスや、その後に台頭してきた家電量販店などに優先的に回すようになったという。
そうなると、小さなおもちゃ屋には、売れ筋の商品がなかなか入ってこなくなる。
売り上げに貢献してくれるようなおもちゃほど、仕入れにくくなっていった。
おじさんは、そのことを本当に悔しそうに話していた。
それを聞いて、僕はふと思い出した。
僕がそこでアルバイトをしていた頃、クリスマスシーズンになると、おもちゃ屋の家族が総出で百貨店へおもちゃを買いに行っていたことがあった。
店頭で売るためのおもちゃを、百貨店まで買いに行っていたのだ。
当時は、それがどういうことなのか、あまり深く考えていなかった。
でも今思えば、問屋から入ってくるおもちゃの量が少なくなっていて、仕方なくやっていたんだろうなと思う。
もちろん、今でいう転売屋とは違う。
利益を乗せて転売するために買っていたわけではない。
お店で売る商品が入ってこないから、仕方なく自分たちで買いに行っていたんだと思う。
そう考えると、僕がアルバイトをしていた頃には、すでに小さなおもちゃ屋が置かれていた状況は、かなり厳しくなっていたのかもしれない。
そして、あのおもちゃ屋も、ついに店を閉めることになった。
店を閉める直前に訪れた店内は、商品がなくなって、ほとんど空っぽだった。
その何もなくなった店を見て、ふと思った。
「あれ、こんなに小さなお店だったんだ……」
子どもの頃は、もっともっと大きく感じていた。
あれだけたくさんのおもちゃが並んでいて、僕にとっては、どこまでも広い夢の場所だった。
でも、何もなくなった店内に立ってみると、思っていたよりずっと小さかった。
それが、なんだか余計に寂しかった。
「こんな小さなお店に、あんなにたくさんのおもちゃを詰め込んでたんだ」
そんなことを思った。
トイザらス撤退。
時代の変化だから仕方がない。
そう言ってしまえば、それまでなのかもしれない。
でも、僕の中には、あのおじさんの言葉が残っている。
町のおもちゃ屋が潰されていき、そして今度は、その大型店まで姿を消していく。
結局、町からいろんなものが消えてしまったんだなと思う。
最後に聞いた、店主のおじさんの一言。
あの頃は、ただのおもちゃ屋だと思っていた。
でも今になって考えると、あのお店は僕の子ども時代そのものだったんだと思う。
黒船がやってきて、町のおもちゃ屋が潰された。
そして今、その黒船もまた、日本から去っていく。
「ざまあみろ」と思う人もいるのかもしれない。
でも、あのおじさんの立場だったら……僕はやっぱり、「ふざけるな」と思うだろうな。
そんなことを考えながら、スマホのニュース画面を閉じた。
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