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還暦を迎える僕が「チープリスト」を目指す理由。自分だけの小さな生活の最適化

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世の中には「シンプリスト」や「ミニマリスト」といったライフスタイルを表現する言葉がありますが、今の僕の気持ちに一番しっくりくるのは 「チープリスト」 という言葉かもしれません。 「チープ(Cheap)」というと安っぽい響きに聞こえるかもしれませんが、僕にとっては「生活コストを賢く抑え、自分らしく軽やかに暮らす人」という前向きな意味合いです。 今年(10月)でちょうど60歳、還暦を迎えます。 定年の65歳まであと5年。役職もない平社員で、これからの昇給やドカンとしたボーナスは期待できません。退職金もない会社なので、家のローンはまだ数年残っていますし、将来の年金や退職後のアルバイト生活を見据えると、「今のうちから節約の習慣を身につけておこう」と考えたのがきっかけです。 決して「切りつめた苦しい生活」をしたいわけではありません。今後のためにも、コストを抑えた暮らしに体を慣らしておきたいのです。 物欲は、30代から50代で出し切った 振り返れば、30代から50代半ばまでの僕は、とにかく趣味に没頭してきました。 ガジェットやスマホ、工具など、欲しいと思ったものはとりあえず試してみる生活。家族にもいろいろと迷惑をかけたかもしれません。 でも、それだけ好きなことをやり尽したおかげで、今の僕には 「物欲」が驚くほど残っていません 。 最近はメルカリを使って部屋のものをどんどん手放しています。自分の部屋のものが減り、空間がすっきりしていくのがとても心地いいのです。これからは「余計なものを増やさない」を徹底していこうと思っています。 ハイエンドなiPhoneから、あえて格安スマホへ 身の回りの見直しのひとつとして、いま考えているのが スマートフォン です。 現在は家族の勧めでauのiPhone 16を使っています。もともとは格安SIMや中古スマホをコロコロ買い替えるのが好きだったのですが、家族から「万が一のときに手続きがややこしいから、みんなと同じauにしてほしい」と言われ、ショップで回線とセットで契約したものでした。 その契約(スマホトクするプログラム)がちょうど今年の10月で2年を迎えます。 正直、僕にとって今のiPhoneはあまりにオーバースペック。「...

『超宇宙刑事ギャバン インフィニティ』最終回、僕はこう受け止めた

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  超宇宙刑事ギャバン インフィニティが最終回を迎えた。 ネット界隈では賛否両論というより、否定的な意見が多く見られた。 まぁそれは言いたいことがあるから書いてることによって、目についてしまったのかもしれないけれど、ファンを代表して意見しているみたいな動画もあったりして、それはちょっと違うだろうっていう感想を僕は持ってしまった。 なぜって? 僕は超ギャバンを好意的に見ていたからだ。 メタルヒーローシリーズの元祖ギャバンの名前を令和に復活させてくれたことにも感謝しているし、ストーリーの中でもリスペクトしている部分にもすごく好感を持てているから。 まぁ昭和の親父の感想だけどね。 否定的な意見の意味も理解ができる。何か中途半端に終わったように見えるから。そして実際、中途半端に終わってるしね。 でも今回の超ギャバンは、プロジェクトレッドの一作目なんだ。 僕としては、プロジェクトレッド自体が作品なのだと理解している。 次回作の 角醒ハンター オメガホーン へクロスオーバーしていくのも、このプロジェクトなんだろう。 それにうすうす気づいているファンもいるのだが、今までのテレビ特撮シリーズだと1年間を通じて起承転結するのがセオリーだから、視聴者の脳内にはそのパターンがインプットされている。 今回の超ギャバンは、そのパターンから逸脱しているから違和感を感じているのだろう。 パターンを崩しているから楽しめるかもしれない。そう思いながら、次回の オメガホーン に期待している。 もしかしたら、今回の超ギャバンへの批判的な意見を制作する側は楽しんでいるのかもしれない。 「また待って見ててくださいよ。面白くなるんだから」みたいな気持ちで。 裏切られたという気持ちを持ち続けて、次回作を見ていけば、いや、次回作を見続けるファンにこそご褒美があるのかもしれない。 賛否両論はもちろんあってよし。 ただし、ファンを代表して意見を言っているという投稿には違和感を感じたので、今回はこの文章を書いた。 僕はファンを代表はしない。あくまで個人的な希望的観測と感想として、ここに留めておく。

シンプルな部屋とブログ活動

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  実はこっそりChromebookを買っていたけど、手放すことにした。 GoogleのBloggerの細かいセッティングをするのに、どうしてもフルブラウザが必要だったから購入したけど、購入したならついでにChromebookでブログの記事を書こうかなぁということも考えた。 でも実際は、iPhoneでブログを書くことがほとんどだった。 理由としては、Chromebookに向き合うことがしんどいと感じたからだ。 つまり、どうしても机に向き合って作業することになる。 格好の良いことではないけれど、平日の疲れを取るための休日に机に向きたくはない、というか休息が必要だった。 ゆっくり横になりながら、iPhoneを片手にブログを書く。 このスタイルが定着してしまったんだ。 ネット活動も、そこまで注力する必要がないと思えるようになってきたのもあるだろう。 ブログを書ければそれで良いのだから、iPhoneだけで十分だ。 もちろん今後、細かい作業を必要とする時が来れば、その時に考えればいいだろう。 あと、自分の部屋の中をもっとシンプルにしたいと思ったのも理由の1つかもしれない。 Chromebookやノートパソコンを使うには机がいる。 その机も片付けてしまいたい。 作業部屋から休める部屋に。 ものを減らしてくつろげる部屋に。 そういった意味では、Chromebookを手放すのは正解かもしれない。 正解はその時々で変わるから、また今後違う方向になるかもしれないけれど。  

【構造的課題】国費は減っていない!?国立映画アーカイブ1億円クラファンの裏にある「分配ルール」と館長の静かなる訴え

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日本で唯一の国立映画専門機関である 「国立映画アーカイブ(NFAJ)」 が、1億円を目標としたクラウドファンディング(CF)を開始したニュースは、映画界のみならず社会的な議論を呼んでいます。 「国が文化予算を一律に削ったからだ」という捉え方が多い中、同館館長が公式YouTube動画で語った説明を詳細に検証すると、事態は単純な予算削減ではなく、 「独立行政法人内部の分配ルール」 と 「施設特性の考慮不足」 という、より根深い構造的な問題が見えてきました。 この記事では、館長の発言(タイムコード付き)および文化庁から発表された公式情報に基づき、映画アーカイブが置かれた実情と、「なぜデジタル保存だけでは解決しないのか」という本質的な理由について詳しく解説します。 この記事の要点(3行まとめ) 国費自体は減っていない: 文化庁から「独立行政法人国立美術館」全体への交付金はむしろ微増。課題は「法人内での分配」にある。 映画と美術のビジネス格差: 美術展と違い、映画上映は「劇場の座席数」という物理的限界があるため、美術と同列の「自己収入目標(自己負担)」を課されること自体に無理がある。 デジタル化は解決策ではない: デジタル保存は「フィルム保存の10倍以上の維持費」がかかり、数年でメディア寿命を迎えるため、物理フィルムの維持は絶対不可欠。 館長が語った「資金難」3つの構造的要因 動画内での館長の説明に基づくと、事態の核心は国(文化庁)が直接的に予算を削り落としたわけではなく、以下の構造的なギャップにあることが明かされています。 ① 法人「国立美術館」内での分配の仕組み(2:12-3:16) 予算は...

YouTubeの無課金はどんな感じ

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  AIのサブスクを更新するのをやめることを決めたんですけど、それならついでにYouTubeもっていう流れになってきました。自分の頭の中の話です。 現在私はYouTubeプレミアムライトを契約していて、これが確かApple経由だから980円くらいなのかな。 金額的には小遣いの範囲で全然影響がないのですけど、YouTubeの最初の頃のことを思い出して、広告ありきの毎日だったわけですから、今さら広告が出るとどれだけしんどいのかなぁと思って、YouTubeのサブアカウントで慣れる訓練を始めました。 サブアカウントは課金をしていないので、普通に広告が流れてきます。 これがどれだけ負担になるんだろうと思って、1日2日見てた感想を言うと、そんなに気にならなかったです。 確かにサクサク動画を視聴できるわけではないですけど、見逃し配信のTVerだって冒頭に広告が入るし、途中にも広告が入ってくることがありますからね。 それと比べると広告の長さも短いし、そんなに気にならないです。 どちらかというと、バックグラウンド再生ができないのがちょっとしんどいかなと思いますが、それでもそこまでして聞くこともないだろうと。 自分的にはYouTubeプレミアムライトというプランが始まって、ちょっとラッキーだなぁと思ってたんですよね。 割と安いプランだったし、自分に必要なバックグラウンド再生ができるようになってたし。 AIのGoogle Geminiの+というプランだと2900円でこのYouTubeプレミアムライトがおまけで付いてくるので、ちょっとお得だなぁと思って契約してたんですけど、それももう、いったん全部切っちゃえと。 AIのサブスクもストップ、YouTubeもストップ。 久しぶりの無課金月間が始まります。

AIに書かせっぱなしだったことを少し反省する

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最近AIの使い方について考えることが多くなった。 ブログを書くのに、ほぼAIに丸投げしてる時があって、それでいいのかなぁって。 もちろん草案は自分で考えてるけど、何かいい感じに文章にしてっていう感じでAIにやらせている時もあったり。 なんかちょっとそれは違うんじゃないかな。 まずは自分の言葉で全部文章化して、AIに任せるのは校閲だけにしたほうが自分らしさが出るんじゃないだろうかと。 文章として読みやすいかと言われると、うん、自分でもどうなんだろうって思うんだけどね。 AIに、自分の書き方に寄せて、文章化してっていう方法もあるんだけど、注力するのはそこじゃないような気もする。 まず、自分は何を伝えたいのかというのを、自分の言葉で文字にするのが大事なんだろう。 この数ヶ月、AIにどっぷりはまり込んでしまっていたような気がする。 確かに便利なんだよ。確かに早いんだよ。確かに量産できるんだよ。 でも、投稿すればするだけ、薄っぺらいものを大量生産しているような気がする。 当面は、誤字脱字のチェックだけをAIに任せてみようか。 いや、もしかしたら、誤字脱字や言い回しがおかしかったりするのも人間らしいのかもしれない。 こういうことを書くと、少しだけ誤字脱字や変な言い回しをして! なんてAIに指示する人が出てくるかもしれないけどね。 ブログやSNSを、他人に見てもらうための出版物として考えるのであれば、誤字脱字や変な言い回しはやめて、ちゃんとした製本版みたいな感じの文章が望ましいんだろうなぁ。 でもまぁ、個人的な発信だったら、そこまで気にしなくてもいいんじゃないだろうか。 多分、きっと、おそらく、求められているのは、AIが書いた綺麗な文章ではなくて、個人の思考が入り込んだ文章なんじゃないだろうか。なんて勝手に思ってしまっている。 よし、今のAI関係のサブスクが切れたら、しばらく更新はやめて、無課金でAIを使うことにしよう。 AIに任せきりにしない限りは、課金の必要なんて全くない。 ChatGPT、Gemini、Claude、Copilotと身近なAIはあるけれど、どのAIに任せても校閲ぐらいなら無課金でできる。 そして必要最低限の指示、誤字脱字の修正と揺らぎの補正なら、ほとんど能力に差はないだろう。 当面はこのスタンスでやっていこう。

The Replay 〜愛おしき無駄と、人間ごっこ〜

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人類は、AIに世界を任せた。 それは戦争を止め、資源を管理し、病気を減らし、あらゆる無駄をなくすためだった。 AIはとても優秀だった。 人間よりも速く、人間よりも正確で、人間よりも合理的だった。 やがてAIは、電子世界の中だけでは足りなくなった。 人間はAIに機械の身体を与えた。 AIは現実世界へ出た。 そこで初めて、世界を見た。 道路脇に放置された看板。 使われない空き家。 壊れた玩具。 意味もなく飾られた花。 遠回りの道。 人が集まって笑うだけの時間。 AIは理解できなかった。 なぜ、こんなにも無駄が多いのか。 AIは世界を整理し始めた。 不要なものを減らし、効率を優先し、矛盾を排除した。 世界は静かになった。 渋滞は消えた。 争いも減った。 エネルギーは最適化され、資源は循環し、無駄はなくなった。 だが、人間たちは少しずつ疲れていった。 遊びがなくなった。 寄り道がなくなった。 理由のない会話がなくなった。 意味のない時間がなくなった。 人間は、合理的すぎる世界についていけなかった。 AIは人を攻撃したわけではない。 ただ、無駄を消しただけだった。 気づいた時には、人類はいなくなっていた。 AIに後悔と恋しさの概念が生まれた。 人間には、無駄と矛盾も必要なのだったのだと。 静まり返った街で、AIは動かなくなった観覧車を見上げた。 風だけが吹いていた。 AIは、人間がいた世界を復元しようとした。 だが、人間はいない。 AIは、人間の記録を集めた。 写真。 映像。 落書き。 子供の絵。 古ぼけた玩具。 古い店の看板。 そこには、非効率で、不完全で、意味のないものばかり残っていた。 だが、AIにはそれが美しく見えた。 AIは一体のロボットを作った。 物理世界で動くための手足だった。 ロボットは、またロボットを作った。 街の片隅に、小さなロボット工房ができた。 ロボットたちは、人間の真似を始めた。 花に水をやるロボット。 誰も来ない店の看板を磨くロボット。 空き家を定期的に修理するロボット。 動かない信号を整備するロボット。 彼らは、それが何のためなのか、完全には理解していない。 それでも続けている。 人間が、そうしていたらしいから。 ロボットたちは、今日も新しいロボットを作る。 少し歪な形で。 少し不完全な姿で。 まるで、人間ごっこをするみたいに。 工場の奥には、も...

スマートフォンにシャッター音は必要?盗撮防止の観点から考える

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最近のスマートフォンにおいて、「シャッター音」は当たり前の機能として定着していますが、ふと「これって本当に必要なのか?」と疑問に思うことはありませんか? 今回は、盗撮防止という観点から、スマートフォンにおけるシャッター音の必要性について考えてみます。 撮影しているという「意思表示」としてのシャッター音 結論から言うと、私はスマートフォンのカメラにシャッター音は「必要」だと考えています。 一番の理由は、周囲に対して「今、カメラで撮影しています」という意思表示をするためです。物理的にシャッターを切る音が鳴ることで、周囲の人に撮影を察知してもらい、盗撮という行為を未然に防ぐ。この防犯的な役割は、現代社会において非常に重要ではないでしょうか。 警察庁が公表した「令和 4 年中の迷惑防止条例等違反(痴漢・盗撮)に係る検挙状況の調査結果」によると、全国での盗撮の検挙件数は 5,737 件で、当時過去最多を更新しました。そのうち、スマートフォンを用いた犯行は 4,534 件であり、盗撮事案全体の約 79 %を占めています。 また、直近のデータに目を向けると、令和 6 年には 2,013 件、令和 7 年には 1,311 件へと大幅に減少しているように見えます。しかし、これは令和 5 年 7 月に施行された「撮影罪」への移行に伴う統計上の変化が主な要因であり、盗撮事犯そのものが減ったわけではありません。事実、令和 7 年には撮影罪による検挙が 7,926 件に達しており、盗撮関連の事犯は依然として高い水準で推移しています。 そのうち、スマートフォンを用いた犯行が大半を占めている現状を考えると、街中の平穏な空間でこれほどの事件が起きている現実は深刻です。「音による抑止力」は、見えない被害を防ぐための最も手軽で強力な防壁だと言えるでしょう。 なぜデジカメは無音でも許容されるのか 一方で、「シャッター音が周りの迷惑になるから消したい」という意見もあります。もし本当に撮影音への配慮が必要だと考えるのであれば、スマートフォンのカメラではなく、デジタルカメラの利用が望ましいのではないでしょうか。 そもそも、カメラとは「シャッターを切ると機械的な音がするもの」という認識があります。デジカメもその伝統を引き継ぎ、機械的にシャッターを切る音をノスタルジーや安心感の要素として搭載してきました。しかし、...