コスパも再生数も気にしない。僕がYouTubeに『日常』を残す理由
今のYouTubeがテレビっぽくなりすぎて、つまらない。
最近、YouTubeのアカウントがバン(停止)されるという情報をよく耳にするようになりました。大量生産されたコンテンツや、どこかで見たような似たような内容を投稿しているチャンネルが対象になっているようです。
YouTubeにとっても、似たようなコンテンツが乱立することは望ましくありません。
視聴者に有益な情報をもたらし、それによって広告収益を得るというビジネスモデルである以上、視聴者が興味をなくしてしまえば商売として成り立たないからでしょう。
見たいものが見つからない
私自身も最近、ある探しものをしていて、今のYouTubeに物足りなさや飽きを感じる場面に出くわしました。
検索結果に並ぶ「似たようなレビュー」への違和感
それはスマートフォンの実際の使用状況や感想を知りたかった時のことです。
検索して出てくるのは、概ね購入直後のレビューや、長くても1ヶ月程度の使用レビューばかりでした。
もちろん、商品レビューそのものを否定するわけではありません。新製品の情報をいち早く、詳細に届けてくれるレビュー動画に、私自身も助けられている部分はあります。
また、商品レビューを生業とされている方は「レビュワー」という専門家であり、日常を投稿する普通の人たちとは別個の存在、いわゆる専門チャンネルとして考えています。
しかし、今回私が本当に知りたかったのは、そうした専門的な解説ではありません。
日常使いをしている中で起きた些細な出来事や、「ここは便利だけど、これはちょっと困るよね」といった、飾らないリアルな使用感でした。
残念ながら、今の検索結果からそういった動画を見つけ出すことは、非常に難しくなっていると感じます。
消えていくオリジナリティと「似たようなコンテンツ」の増殖
今のYouTubeを見ていて、私が強く抱いている違和感があります。それは、レビューのジャンル以外で、大体同じような時期に、同じような内容の動画が違うチャンネルから一斉に上がってくることです。
どこかに共通の原作者がいるのか、あるいはヒットした動画に寄せて作ろうとしているのか。
いずれにせよ、投稿者自身のオリジナルのストーリーが減っているのは、見ていれば分かります。
「今の流行り」や「再生数が取れる型」を追いかけるあまり、作り手の個性が消え、どこかで見たような動画ばかりが並ぶ。この状況に、私は一人の視聴者として観ることの限界を感じています。
YouTubeが「頑張る人」だけの場所になっている
今、YouTubeに動画を上げている人の多くは、「YouTubeで頑張ってみよう」という意気込みを持った人たち、あるいは少なくとも動画投稿に強い関心がある層ではないでしょうか。つまり、ある程度ネットやYouTubeの作法に詳しい人たちが「正解」とされる手法で制作するため、どうしても動画の内容が似通った方向性に傾いていくのだろうな、と考えています。
私自身、YouTubeに関わって10年以上になります。
以前はそうした「頑張る投稿者」の一人として活動してきましたが、最近はスタンスが変わりました。
投稿の仕方は知っているけれど、今はもう「普通の人」として、日常の出来事をそのまま上げればいいのではないか、と思うようになったのです。
この地球上で普通に生活している人間として、ごく自然にYouTubeを使う。
それこそが、そもそもYouTubeが想定していた使い方なのかな、と。
運営が求める「原点回帰」の兆し
YouTubeを運営しているGoogleも商売ですから、これまでは「みんなに見られるような工夫をして投稿してね」というスタンスであったことは間違いありません。しかし今は、一周回って「原点回帰」を求めているような気がしてなりません。
今回の収益剥奪や様々な制限は、そうした背景からきているのかもしれないな、と推察しています。
私自身、今のYouTubeはテレビの延長のような、エンタメやニュースを見る場所になってしまいました。
でも、その一方で「本当に普通の人が、無骨な撮影で撮った動画を見たい」という欲求が自分の中に生まれているのも事実です。
「不完全な動画」に宿る真実の価値
動画を投稿している人がプロやセミプロではなく、普通の人であることが、私にとっては大切なのです。100%完璧な動画でなくても構わないと思います。収益目的のために、広告に有利な8分以上の動画にする必要もありません。
字幕がなくても、流暢な喋りがなくてもいい。なんとなく撮った、そのありのままの動画を、私は見たいのです。
YouTubeを有効活用しようと極限まで突き詰め、攻略してしまうのは人間の性質かもしれません。
しかし、もっと軽い気持ちで日常を投稿するような使い方が広がれば、YouTubeはもっと豊かな「人類の共有アーカイブ」としての役割を果たせるのではないかと思っています。
個人の記録こそが、YouTube本来の姿
商売としてYouTubeを捉えている人は、再生回数が回らない動画は作りませんし、投稿もしません。効率やコストパフォーマンスを重視すれば、それは当然の判断でしょう。しかし、一般人は違います。自分の記録として、あるいは日記として、再生回数を気にせずに動画を投稿することができます。そこにはコストパフォーマンスという概念すら存在しません。
YouTubeには、こうした「個人の記録」としての動画がもっと増えればいいなと思いますし、私自身も今後、そうしたスタンスで動画を投稿していくつもりです。
今、私が必要としているのは「リアルな個人の発信」
投稿者と視聴者の距離感、そして普通の人が見て、普通の人が動画を投稿していること。その関係性が大切だと思っています。YouTubeは広告収益を得られるプラットフォームである以上、見てもらうための工夫は否定しません。
しかし、今私が求めているのは、きれいに整えられた動画ではなく、リアルな個人の発信です。
一度収益化が許可されたチャンネルを運営し始めると、どうしても集客を優先しがちになってしまうのは理解できます。
それでも私は、飾らない「普通の人の動画」が見たいと思います。
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