『障害』と『障がい』言葉の背景と社会の変化
最近、「障害」と「障がい」の表記について考える機会がありました。
SNSで「どっちでもよくない?」という当事者の声を見かけたのがきっかけです。
確かに、当事者の中には「気にしない」という人もいますし、法令では今も「障害」が正式表記です。
でも、なぜわざわざ「障がい」と書く人がいるのか。その背景には、深いものがあるように思います。
「障害」という言葉の語源
「障害」はもともと仏教用語の「障礙(しょうげ)」に由来し、“妨げ”や“さわり”を意味する言葉でした。
明治以降、制度用語として「障害」が定着し、身体的・精神的な機能不全を指す言葉として使われるようになります。
ただ、「害」という漢字が「害虫」「公害」などと同じく否定的な印象を持つため、
「自分が社会にとっての“害”なのか」と感じる人も出てきました。
表記変更のきっかけ
1990年代以降、当事者から「“害”と書かれることがつらい」という声が行政や教育現場に届き始めます。
これを受けて、自治体やメディアの一部では「障がい」という表記が使われるようになりました。
文化庁や内閣府でも意見募集が行われ、「障がい」「障碍」などの代替表記を求める声が多数寄せられました。
こうした動きは、単なる言い換えではなく、過去の差別への反省と、当事者への配慮を示すものでもあるのです。
「障害者」とは誰か?社会モデルの視点
従来は「障害者=障害がある人」という定義が一般的でした。
しかし、近年では「障害者=社会の構造によって障害を受ける人」という考え方が広がっています。
これは「社会モデル」と呼ばれる視点で、
障害とは個人の欠陥ではなく、社会の制度・環境・意識が生む“障壁”だと捉えます。
たとえば、車椅子の人が階段しかない建物に入れないのは、
本人の身体ではなく、建物の設計が“障害”を生んでいるという考え方です。
言葉の揺れが映す社会の成熟
「障害物」という言葉は“障害を引き起こす物”を意味します。
一方、「障害者」は“障害を受ける人”です。
この語構造の違いが、表記の混乱や誤解を生む一因になっているのかもしれません。
「障がい物」とは言いません。意味が通らないからです。
それでも「障がい者」と書く人がいるのは、言葉の力が人を傷つけることがあると知っているから。
そして、その歴史を忘れないために、あえて表記を変えるという選択をしているのかもしれません。
おわりに
「障害」という言葉をどう書くかは、正解があるわけではありません。
でも、その揺れの中に、社会が過去と向き合い、誰かの尊厳を守ろうとする姿勢が見える気がしました。
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