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SNSを一度やめて気づいた、自分にとっての「X」の正しい使い方

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  約一ヶ月、あんなに依存していたSNSをきっぱりと断ってみました。さらにこの正月休みの6日間、ネットの喧騒から離れてのんびり過ごしたことで、心の中に少しずつゆとりが戻ってきたのを感じています。 SNSを見ない毎日は、気分的にも時間的にも驚くほど楽でした。それなのに、なぜ今またX(旧Twitter)を再開しようと思ったのか。今朝、ある出来事をきっかけに、自分なりの「新しい付き合い方」が見えてきたからです。 リアルタイムの空気を知る道具として 今朝、ふと気づくと外が騒がしく、空には複数のヘリコプターが飛び交っていました。「何かあったのかな?」と気になったとき、やはり真っ先に頭に浮かんだのはXの検索画面でした。 テレビのニュースになる前の、今まさに目の前で起きている出来事。それを誰かがリアルタイムで呟いているかもしれないという情報の速報性は、やはり他のツールでは替えがきかないものだと痛感したのです。自分にとってXは、単なる交流の場ではなく「街のリアルを映す鏡」のような役割だったのだと再確認しました。 思考を吐き出す場所から、行動を記録する場所へ これまでは、自分の考えや思考を誰かに届けようと躍起になっていた気がします。でも、これからはもっとシンプルに考えます。 今日買ったもの 今日食べたもの 部屋の様子を映した短い動画 ブログやYouTubeを更新したという事実 そうした「今やったこと」「目の前の出来事」を、自分のためのログ(記録)として淡々とポストしていく。そこに、自分の思考や余計な呟きを乗せる必要はない。そう割り切ることで、今の心の余裕を保ったまま再開できる気がしています。 ゼロからの再出発 以前のアカウントを削除する際、フォローもフォロワーもすべて解除して整理しました。幸いアカウント自体はログインすることで復活できましたが、文字通り「ゼロからのスタート」です。 でも、それで良いと思っています。過去のように「情報を共有しなきゃ」「反応を返さなきゃ」という気負いはもうありません。あくまで自分の行動記録。そして、物足りない時にはXのAI(Grok)も活用しながら、道具として使いこなしていこうと思います。 これからの付き合い方 今後は、YouTubeやブログの更新情報もこのログの中に混ざっていきます。誰かのためではなく、自分の生活の一部として。 SNSの煩わしさか...

2025年、私が「手放して」本当に良かったもの

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2025年も残すところあとわずかとなりました。今年は自分にとって、これまでの人生で溜め込んできたものを整理し、結果的に 「引き算」 を意識した一年でした。 持ち物、情報、そして長年の習慣。これらを整理して手放したことで、驚くほど身軽になれたと感じています。 何より、これらを手放したことで得られた最大の収穫は、 「時間に追われる感覚」がなくなったこと です。 今日は、私が今年手放したものと、それによって生まれた心のゆとりについて、端折ることなく詳しくまとめました。 1. 「情報発信の使命感」と3つのブログ これまで私は4つのブログを同時に運営していました。 「何かを調べたら、すぐに世界に向けて情報を流さなければならない」という、ある種の強い使命感に常に追いかけられているような感覚がありました。 しかし、ふと立ち止まり、自分もただ一人の人間に過ぎないという原点に立ち返ってみました。無理に世間の情報をまとめて発信する役割は、もう自分には必要ないと判断し、それらを手放すことにしたのです。 • 得られたもの: これからは老後もしっかりと見据え、日々のふとした思いつきや自分の考えを、自分のためだけに記録していこう。そんな「日記」としてのブログが、Blogger一つあれば十分だと思えるようになりました。 誰かの期待に応えるための更新ではなく、自分のための執筆という、本当の意味での安らぎを手に入れることができました。 2. SNS(X・Threads)との距離 日常的にチェックし、情報を追いかけていたX(旧Twitter)とThreadsを手放しました。 • 得られたもの: 情報の波に飲まれる時間がなくなり、自分の思考の中に静寂が戻ってきました。ちなみに、Facebookは顔見知りとの交流に、Instagramは個人用のアルバムとして「無理に更新しない」スタンスで残しています。今の自分には、このくらいの使い分けと距離感がちょうど良いと感じています。 3. 時間つぶしの「無駄食い」と驚きの減量 これまでは待ち合わせや、少し時間が空いたときなど、場所を確保するためだけに飲食店に入って何かを注文する、ということが習慣になっていました。しかし、そういった「無駄食い」を思い切ってなくしました。 • 得られたもの: その結果、健康面で劇的な変化が現れました。去年の夏頃には78キロから79キロ、...

SNS疲れからYouTube Blogger Instagram以外はやめた

先日、SNSのコメント返信に疲れてしまった。 さほど人気があるわけではないので、コメントと言っても5件ほどだ。特にコメントを必要とする投稿でもないのにコメントが来るわけで、まあせっかくコメントをもらったから返信はするんだけど、真剣に考えちゃうから疲れるんだよね。 あと、過去記事にも書いたけど、他者から盗用した文章や画像・動画が見受けられるのも嫌だったからかもしれない。 過去記事▶︎ “盗用も、適当な引用も、もうやめてください。とは言いませんがブロックします。” 気楽に使っていたX(旧Twitter)やThreads、noteだったんだけど、気軽に呟くことすら億劫になってきた。 いくら気楽とは言っても、多少は文章を考えたりする時間や手間をかけているわけで、単なるつぶやきにコメントをもらうと、本当はハートマーク(いいね)を送るぐらいでいいのに、「返信しなきゃいけない」っていう気持ちになってしまって。 「そんな思いをしてまで使うメリットはないよね」と冷静に考えた結果、アカウントを削除して利用をやめた。投稿しないだけでも構わないんだけど、何らかの弾みで悪用されても困るし、放っておいてもメリットはないだろうしね。 このブログで過去に書いたことにも、自分的にはいまいちな内容なものもある。その宣伝を兼ねてSNSに投稿していたからリンクも残っていたわけで、それも一掃したかったわけだ。アカウントごと削除すれば、そのリンクも消せるから。 過去のブログのリンクがSNS上になくなったから、このブログで書いた記事でも遠慮なく消すことができる。 今までは写真を選んだり文体を調整したりをAIに任せていたけれど、基本的にはもう自分の言葉だけで書いていこうと思う。誤字脱字の校正ぐらいはAIに任せるけどね。 今書いているこの文章は、AndroidスマートフォンのGoogleブロガーアプリに音声文字入力している。それを一旦Geminiに投げて構成だけ変えてもらえば、文章としてはまあまあ成り立つだろう。 ただし、どうも アプリの作りが良くないので、今後は Google ドキュメントで下書き する予定だ。 今後、このブログはSNSのつぶやき代わりだったり、飾り気のないテキストだけの文章だったりするけれど、自分が思っていることを書いて、自然体で使っていこうと思う。

盗用も、適当な引用も、もうやめてください。とは言いませんがブロックします。

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 SNSに流れてくるテレビやアニメの動画。正直言って、僕は不快です。 他人が一生懸命作った映像を、まるで自分の作品のように勝手に使う行為は、 盗用 に他なりません。 本来であれば、その瞬間、その状況でしか見られない、場合によっては有料でしか見られない動画や画像を勝手に切り取って、自分のSNSに投稿する行動自体がおかしいのです。テレビや映画の映像を、一部とはいえ投稿する理由は一体何なのでしょうか。単に自分の欲求を満たすためだけですよね。「宣伝にもなるからいいんじゃない」というのは勝手な言い分でしかありません。誰もあなたに頼んでいないのです。 商業作品だけでなく、他人のアカウントの画像を勝手に使っている人たちも同じです。そもそも、その画像をコピペして使うぐらいなら、元の投稿をシェアすればいいだけの話です。それなのに、あえてコピペをするのは、要は元のストーリーや文脈には興味がなく、画像だけを自分のものとして使いたいということですよね。本当に身勝手で、何のためにSNSをしているのか理解できません。自分の投稿に使うなら、自分の画像を使いなさいよと、僕は思います。 そして何より腹立たしいのは、そういうことをしている本人が「問題ない」と本気で思っていること。 さらに言えば、そういった不正な投稿に対して賛同しているようなコメントをしている人たちも同じです。受け入れている時点で、その行為を容認していることになりますから。 適当な知識で「引用元を書いてますよ」と一応リンクを貼っている投稿も同じです。引用のルールを無視して、ただURLを貼るだけ。それって、本当の 引用 とは言えません。 クリエイターの作品をリスペクトする気持ちがあるなら、正しい方法で紹介すべきです。そういう無神経さが、作った人へのリスペクトがないように感じてしまうんです。 正しい引用の方法とは? 単にURLを貼るだけでは、引用とは言えません。 せめて、以下の点を意識してみてください。 引用元を明確にする: 誰の、何の作品から引用したのかをはっきり書く。 引用部分を明示する: どこからどこまでが引用なのかをわかるようにする(例:カギ括弧を使う)。 引用の必然性を書く: なぜその部分を引用したのか、自分の意見や感想を添える。 ...

【Threads初心者向け】無言フォローは本当にダメ?SNSマナーと正しい使い方

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 Threadsを使っていると、「無言フォローはダメ」といった投稿を見かけることがあります。特にSNS初心者や最近登録した方は、「無言でフォローしたら迷惑なのか」と不安になることも。しかし、実際にはThreads公式では無言フォローは禁止されていません。今回は、Threadsでの無言フォローの真実と、SNSマナーに振り回されない方法を解説します。 無言フォローって何?Threadsでの実態 無言フォローとは、コメントやいいねなどの交流なしでフォローすることです。一部ユーザーは不快に感じる場合がありますが、Threadsの公式ルールでは禁止されていません。つまり、無言フォロー自体はSNSの通常機能の範囲内であり、安心して使えます。 勘違いで広まる「無言フォロー禁止」の噂 SNSでは、一部の投稿やコメントが拡散されると、多くの人がそれを事実だと信じてしまいます。「無言フォローはダメ」と勘違いしている人が増えるのは、こうした心理的影響が原因です。Threadsだけでなく、他のSNSでも同じ現象が見られます。 無言フォローで怒られたときの対処法 もし無言フォローで相手から怒られた場合は、冷静に対応することが大切です。具体的には次のステップがおすすめです。 相手の気持ちを受け止める 「自分のフォローが不快だった」という意見を軽視せず、まず理解する姿勢を見せます。 例:「気持ちを害してしまったようで申し訳ありません」 無理に正当化しない 「公式ルールでは問題ない」と言いたくなるかもしれませんが、相手を説得する必要はありません。関係を悪化させずに対応することが優先です。 怒る相手に反論しても仕方がない SNSでは価値観が人それぞれなので、すべての人に自分の考えを理解してもらうのは不可能です。 反論するとさらに感情的なトラブルに発展する可能性があります。 重要なのは「自分は公式ルール内で正しく使っている」と理解したうえで、必要以上に争わないことです。 対応方法を選ぶ フォローを外す:相手が望む場合は外すと誠意を示せます。 説明してフォロー継続:関係を維持したい場合は、「公式ルール内で行っていますが、不快にさせてしまったなら申し訳ありません」と軽く触れる程度...

SNSのコメント対応に悩む人へ|生成AIで心を守る方法

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NSに投稿した何気ない言葉に、思いがけないコメントがつく。 それは批判かもしれないし、誤解かもしれない。 あるいは、皮肉や挑発のように感じることもある。 そんな時、どう返せばいいのか──その判断に迷って、心を痛めてしまう人が少なくありません。 SNSは本来、自由に思いや考えを表現できる場のはずです。 けれど、コメント欄でのやりとりが原因で、投稿すること自体が怖くなってしまう。 そんな経験をしたことがある方もいるのではないでしょうか。 この記事では、そうした「返信に悩む瞬間」に、生成AIを活用することで心の負担を軽くし、SNSを気持ちよく使っていく方法を紹介します。 ただし、AIにすべてを任せるのではなく、「自分の言葉を守るための補助」として使うことが大切です。 想定外のコメントが心に刺さる理由 SNSは文字だけのコミュニケーションです。 表情も声のトーンもない中で、言葉だけが飛び交う。 だからこそ、ちょっとした言い回しが強く感じられたり、意図しない受け取り方をされたりします。 たとえば、こんな投稿をしたとします。 「最近の映画って映像はすごいけど、物語が薄い気がするな」 この投稿に対して、こんなコメントがついたらどうでしょう。 「じゃあ自分で作れば?評論家気取りうざい」 このような“変化球”のコメントは、意図を誤解された上に、人格まで否定されたように感じることがあります。 無視するべきか、反論するべきか、謝るべきか──その判断に迷い、心が疲れてしまうのです。 返信しないという選択もある──でも、返したいならこの方法がある SNSで想定外のコメントが来たとき、 無視する という選択肢もあります。 それは決して冷たい対応ではなく、 自分の心を守るための立派な判断 です。 すべての言葉に反応する必要はありませんし、沈黙が最善の対応になる場面もあります。 ただし、無視したコメントはそのまま残ります。 そして、それは 自分の心の中にも残り続ける ことがあります。 「何も言えなかった」「本当は伝えたかった」──そんな思いが、後になってじわじわと心に影響を与えることもあるのです。 だからこそ、 自分の言葉としてAIを活用して返信することには、心へのメリ...

ハンドメイド作品の販売はどこまでOK?著作権・商標権で違法にならない境界線

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  趣味で楽しむ手芸やDIY。お気に入りのメーカーのロゴや、人気商品のデザインをモチーフにしたアイテムを手作りするのは楽しいものです。 しかし、その行為が**「個人的な利用」の範囲を超え、「販売」に踏み出した瞬間**、あるいはその**「作り方」を公開した瞬間**、思わぬ法的リスクを背負う可能性があります。 この記事では、メーカーのロゴや商品名を使用した手作りアイテムの作成・販売、そして作り方の解説に関して、日本の著作権法と商標法に照らし合わせながら、どこまでがセーフで、どこからがアウトなのかを解説します。 1. 「個人的な利用」ならOK? 趣味の範囲と法律 私的利用の例外 自分が楽しむため、あるいは家族などごく限られた範囲内で使用するために、メーカーのロゴやデザインを真似てアイテムを作成する行為は、**「私的利用」**として法律で認められる場合が多いです。  * 商標権と著作権の原則: どちらの法律も、個人的に使用する分には規制の対象外となるのが一般的です。 趣味の範囲でも注意したい点 作成したアイテムをSNSで公開したり、友人・知人に無料で大量配布したりする行為は、「私的利用」の範囲を超える可能性があるため注意が必要です。 2. 決定的な違い:「販売」はほぼ全てアウト 手作りアイテムをフリマアプリ、ネットオークション、ハンドメイドサイト、イベントなどで販売(不特定多数に提供する行為)する場合、状況は一変し、法的リスクが非常に高まります。 販売は**「営利目的の事業行為」**と見なされるため、「私的利用」の例外が適用されません。 最大のリスク:商標権侵害(ロゴ・商品名) メーカーのロゴや商品名を無断で付けた商品を販売すると、消費者が**「これはメーカー公認の公式グッズだ」と誤認する可能性が生じます。これは明確な商標権侵害**となります。 デザイン面のリスク:著作権侵害(デザイン・キャラクター) 商品のパッケージデザイン、キャラクターなど、創作性のある表現を真似てアイテムを作成・販売した場合、著作権侵害となります。 3. 「作り方」を解説・公開する際の懸念点 販売だけでなく、ウェブサイトやYouTubeなどで、ロゴやデザインを真似た商品の作り方を解説・公開する行為にも、法的な懸念が生じる場合があります。  * 著作権侵害の幇助(ほうじょ):...

偏向報道をなくすために!猛反省を促す正攻法3選

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  「最近のニュースやワイドショーは偏っている気がする…」 そう感じている方は少なくないでしょう。特に情報番組の編集や伝え方が意図的に行われていると感じると、テレビ離れが進むのも当然です。 では、一視聴者として、このような偏向報道を是正させるために、私たちにできることは何でしょうか? 「番組を見ない」という行動は非常に有効ですが、さらに効果的にテレビ局へメッセージを届ける 「見える圧力」 戦略をご紹介します。 1. 究極の「見えない圧力」:視聴率のボイコット 収益構造への直接的な打撃 まず、テレビを見ないという行動は、テレビ局にとって最も痛い一撃になります。テレビ局の収益源の柱は、番組の間に流れるCMからの広告収入であり、この広告料は「視聴率」によって決まります。 つまり、あなたがワイドショーを見ないという行動は、その番組の視聴率低下に直結し、局にとっては「稼げないコンテンツ」として、最終的に予算削減や打ち切りの検討材料になるのです。 見えない圧力のジレンマ しかし、この視聴率のボイコットには大きなジレンマがあります。 第一に、偏向報道という「悪事」を自分の視界から外し、結果として悪事を見逃してしまうのではないかという懸念があります。悪事の是正を目的とするなら、ただ見ないだけでは不十分です。 第二に、 この行動は「見えない」 ということです。あなたのボイコットは、視聴率というダイレクトな数字になってテレビ局内部には伝わりますが、 SNS上で拡散されるような「声」や「世論」としては見えません。 そのため、多くの人が「テレビを見ない」という行動をとっても、その効果が公的に可視化されないため、個人のモチベーション維持も難しく、作戦としては成功しがたいと思われます。 偏向報道に憤りを感じたら、特定の番組だけでなく、その時間帯のテレビ自体をシャットダウンすることは、長期的な財政的打撃を与える無言の抗議ではありますが、是正を促すための 「見える」行動 を併用することが極めて重要になります。 2. 収益の根幹を揺るがす:スポンサーへの理性的な意見 視聴率の低下はボディブローのようなものですが、即効性があり、局に大きな影響を与えるのがスポンサー(広告主)への働きかけです。 番組内容が不適切であると判断された場合、スポンサー企業は「自社のブランドイメージを毀損する」リスクを避...

それ、情報じゃない!「○○らしい」は、ただの「うわさ」です

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  はじめに:「らしい」「思います」はなぜ信用できないのか? YouTubeやX(旧Twitter)などのSNSやブログを見ていると、「これ、○○らしいですよ」という話し方をする人がたくさんいますよね。 でも、ちょっと考えてみてください。 「○○らしい」という言葉は、「自分で確かめていない」「責任を持てない」ということの裏返しです。 これはもう情報とは言えません。ハッキリ言って、ただのうわさ話として聞いた方がいいでしょう。 発信者が言い切らない理由 発信者がなぜ「○○です」と断言しないのか? 理由はシンプルです。 それは、自分の情報に自信がないからです。  「もしかしたら間違っているかも…」  「ウソだったら責任を取りたくないな…」 こういう気持ちがあるから、「らしい」という曖昧な言葉を使います。本当に正しい情報、確かな情報を持っているなら、発信者は堂々と「○○です」と言い切れるはずですよね。 「らしい」を使うのは、自分で責任を持てないことを、ネットというみんなが見る場所に流しているのと同じなんです。 噂話が「真実」になってしまう怖さ 特に危険なのは、曖昧な「うわさ話」が、まるで本当の情報(真実)であるかのように広まってしまうことです。 大人がネットで情報を発信するときは、その情報に責任を持つ必要があります。もし、誰かが発した「○○らしい」という言葉を、他の人が鵜呑みにして「これが本当だ!」と広めてしまったらどうなるでしょう? どんどん話が大きくなり、ウソの情報が世の中に広がってしまいます。 誤解が誤解を生み、それはデマになっていく 曖昧な言葉は、少しずつ内容が変わっていきます。 誰かが「○○らしい」と発信したとします。それを読んだ人は、「たぶん○○なんだろう」と、少し間違った解釈(誤解)をしてしまうかもしれません。 そして、その誤解した内容を、また別の人が「○○と聞いた!」という形で発信します。 これが次から次へと繰り返されると、話はどんどんねじ曲げられて、最初の話とは全く違う、ウソの塊(デマ)になってしまいます。 最初の発信者が「らしい」という曖昧な言葉を使ったせいで、誰も責任を取れないまま、デマが止まらなくなってしまうのです。だからこそ、曖昧な言葉から始まる情報には注意が必要です。 最後に:だまされないために、自分で確かめよう では...

【デマ注意】広陵高校野球部の大学推薦取り消しは本当?ネットで拡散された噂を徹底検証

夏の甲子園で初戦敗退を喫した広島の強豪・広陵高校。その直後、SNSやインターネット掲示板で「広陵高校の3年生部員の大学推薦が取り消されている」という噂が拡散しました。 「甲子園で負けたから推薦がなくなったのか?」 「努力が水の泡になるなんてかわいそう」 このような声が飛び交い、瞬く間に大きな話題となりましたが、結論から言うと、この噂は事実ではありません。 ネットで広まった「大学推薦取り消し」の噂とは この噂は、2024年夏の甲子園で広陵高校が敗れた直後に、特定のSNSアカウントから投稿されたのが発端です。「関係者からの情報」として、複数の大学推薦が取り消されたという内容が、真実であるかのように投稿されました。 しかし、これは根拠のないデマです。広陵高校や大学側からの公式発表は一切なく、現時点でもそのような事実を確認できる情報源はありません。 なぜこのような噂が拡散するのか このような噂が広がる背景には、いくつかの要因が考えられます。  * 高校野球への高い関心    甲子園は日本中が注目する一大イベントです。強豪校の敗北は常に大きな話題となり、その熱狂に乗じて虚偽の情報が拡散されやすくなります。  * 信頼性の低い情報源    「〜らしい」「関係者によると」といった形で、あたかも事実であるかのように情報が投稿されることがあります。これらは真実を装うために使われる常套句であり、注意が必要です。  * 感情的な共感を呼ぶ    「頑張ってきた球児がかわいそう」といった、人々の感情に訴えかける内容は、拡散力が非常に高くなります。 高校の推薦入試は、勝敗だけで決まらない そもそも、大学のスポーツ推薦は、甲子園での勝利や敗北だけで簡単に取り消されるようなものではありません。 推薦は、高校3年間での学業成績や日頃の練習態度、スポーツでの実績を総合的に評価して行われます。ましてや、高校生活の全てを捧げてきた部員の推薦が、たった1試合の結果だけで取り消されることは、通常では考えられません。 まとめ 今回広まった広陵高校の「大学推薦取り消し」の噂は、根拠のないデマです。 ネット上の情報に触れる際は、その情報が公式なものであるか、複数の信頼できる情報源で裏付けが取れているかを必ず確認することが大切で...

ThreadsとX、「空気感の違い」はどこから? 私が感じるプラットフォームごとの傾向

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最近、SNSを利用する中で、X(旧Twitter)とThreadsの間で感じられる「空気感」の違いについて、考える機会が増えました。友人との会話でも、Threadsの方が穏やかだと感じるという声を聞くことがあり、この感覚は私だけのものではないのだと改めて感じています。 実際に私は、Xコミュニケーションの場としては使っておらず、現状は情報を発信するだけに留めています。 Threadsは、コミニケーションを取る気にさせてくれる空気を感じます。 この「空気感」の違いは一体どこから来るのでしょうか。それぞれのプラットフォームが持つ特性や、私自身の体感ベースで考察してみました。 文字数制限がもたらす「ゆとり」と「余裕」 Xで投稿しようとすると、280字(1バイト文字で)という文字数制限が、時に表現を窮屈に感じさせることはありませんか。伝えたいことを限られた文字数に凝縮しようとすると、どうしても簡潔さやインパクトを重視しがちになり、結果として言葉が少しだけ鋭くなったり、感情的な側面が際立ってしまったりする場面もあるように感じます。私も、後になって「もう少し丁寧に伝えられたらよかったな」と反省することがあります。 一方、Threadsでは500字という、Xよりもゆとりを持った文字数を投稿できます。この差は、一見わずかなものに思えますが、不思議とコミュニケーションの質に大きな影響を与えているように感じます。自分の意見を述べた後でも、「そう考える背景にはこのような理由があります」といった説明や、「誤解のないよう補足すると…」といった配慮の言葉を添える余裕が生まれます。この「ちょっとしたゆとり」が、発言全体に丸みを持たせ、受け取る側も穏やかな気持ちで読みやすいと感じるのではないでしょうか。まるで、もう少し時間をかけて会話をしているような感覚に近いかもしれません。 プラットフォームの「成り立ち」が育むユーザー層の傾向 ThreadsがInstagramと密接に連携している点は、その独特の空気感を形成する上で重要な要素だと思います。 Instagramは、美しい写真やポジティブな日常、趣味やライフスタイルに関する情報共有が中心のプラットフォームとして発展してきました。多くのユーザーが、共感や賞賛といったポジティブなインタラクションを求めて利用している印象があります。そうしたInstagra...

GoogleのBloggerに書いてXにシェアをする流れ、なかなか悪くないと思う。

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 X(Twitter)の代替品?としてのブロガーを活用というのはありかもしれない。 どういう意味かというと、Xの無料版では文字数制限は旧来通りであるから、つぶやきとしては問題ないのだけれど、もう少し踏み込んで書きたい時に文字数が足りない。 かといって課金するほどの価値は今のところ見出せないので、単なるつぶやきで済ましている。 本来の目的がつぶやきのためのSNSだからそれで良いのだけれど、どうせ書くならしっかり書きたいという思いもある。 以前からYouTubeやブログのシェア先として活用はされているけど、そういうのとはちょっと違って、Xに書ききれないぐらいのことを書きたいのならブログで書けばいいと思うようになっている。 無料ブログの中でGoogleのBloggerは比較的シンプルに使うことができる。 感覚的にはXに書き込むのと似たような感じ。 ややこしい設定が一切できない、ないこともないのだけれど、やらなければやらないでいい。 写真やリンクを貼り付けて文章を書いて、それをXにシェアすればブログのタイトル画像と一緒に投稿できる。 画像はブログカードとして表示されるけどタイトルはコピペして貼った方がいいな。 概ねそれでXから見てもらえるのではないだろうか、と考えている。あくまで個人的にだけど。 Xはつぶやきと考えれば不満はない、でもGoogleのBloggerの方が書きやすいんだよね。 一番の利点はやはり文字数の制限がないところ。 この文章も文字数を考えずに書くことができている。 GoogleのBloggerに書いてXにシェアをする、この流れが当面楽しそうで仕方がない。