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今でも常用「不満買取センター」

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 今でも常用しているサービスに「不満買取センター」があります。 こちらは日常の不満、ありとあらゆる不満、細かくてもいいから、不満を書き込む場所です。 僕がなぜここに書くのか? それはとても簡単な理由。 自分が感じた不満を、人目につくSNSやネットに書き込んだりすると、それを見た人が不快に感じるんじゃないかと思うわけです。 僕だってSNSを見て、人の不満を目にする事はありますよ、それが快適かどうかって言うと、ストレスになるわけです。 自分の不満が人のストレスになるのは嫌ですよね。 だから不満買取センターに書き込みます。 このサービス、当初は不満を買い取ってくれるっていうことで、メディアで話題になりました。 買い取ってもらった金額は、後でまとめてAmazonギフトカードでもらえます。 もちろん、今でも不満に値段はつきますけど、買い取ってもらうことより、その不満が社会の快適さにつながる流れが好きです。 例えば、公共サービスや飲食店、流通関係などで不満を感じたりすれば、運営会社にその不満が伝わるようになっているのです。 1人の不満の投稿が、いずれみんなが不満を感じることが少なくなる社会になれば最高ですよね。 日々の不満、1つや2つはあるはず。 「不満買取センター」を、ご利用になってみてはいかがですか? https://fumankaitori.com/

「チラシを配らない」ネットの歩き方を僕は好む

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先日、bloggerのラベル(普通のブログではカテゴリー)を決める時にふと思った。 誰かに伝えたいまでは良いけれど。 カテゴリーとして「おすすめの〇〇」は、趣味と興味と共感の押し付けではないかと。 誰だって(と思っているのは僕だけかもしれない)勧められると一歩引いてしまわないか。 それに僕は人に何かを勧める立場にあるのだろうか。 もっと率直に。 「僕が好きな〇〇」 その方がしっくりくる。 教科書やマニュアルを書く気はない。 誰かに何かを進められるような立場にはない。 僕の体験や感動をそのまま表現すればいい。 読んでもらうための姑息な手段などを講じることに、自分のネットでの立ち位置が商売人になってしまうことに嫌気がさしたのだ。 友達に対して書いているのではないか。違うのか? 自分に問いかけ始めた。 そう思うことのきっかけは、自由なはずのネットの世界で、僕自身が毎日何かを投げられている感覚に陥っているのではないかと。 知らず知らずの間に「アレはどうですか、コレはどうですか。」の表現の応酬。 ネット上のチラシ配り(ネット広告にも当てはまるけど)にうんざりしているのではないか。 僕もチラシを配っていないか? 些細なことかもしれない。 誰もそんなことを考えないかもしれない。 いや、気にしないだろう。 「僕は〇〇が好き」 それでいい。 もちろん、好きなものを誰かに勧めたい気持ちはある。 だけどそれはブログに素直に書くだけでいいと思った。 それ以上は推さない。 お勧めしますは、強すぎる。 体験したこと、好きなことを書き残すだけでいい。 読んでくださいとも言わない。 ネット上に、自由な僕が存在している事実だけあればいい。 僕は商売人ではないのだから。