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SNSを一度やめて気づいた、自分にとっての「X」の正しい使い方

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  約一ヶ月、あんなに依存していたSNSをきっぱりと断ってみました。さらにこの正月休みの6日間、ネットの喧騒から離れてのんびり過ごしたことで、心の中に少しずつゆとりが戻ってきたのを感じています。 SNSを見ない毎日は、気分的にも時間的にも驚くほど楽でした。それなのに、なぜ今またX(旧Twitter)を再開しようと思ったのか。今朝、ある出来事をきっかけに、自分なりの「新しい付き合い方」が見えてきたからです。 リアルタイムの空気を知る道具として 今朝、ふと気づくと外が騒がしく、空には複数のヘリコプターが飛び交っていました。「何かあったのかな?」と気になったとき、やはり真っ先に頭に浮かんだのはXの検索画面でした。 テレビのニュースになる前の、今まさに目の前で起きている出来事。それを誰かがリアルタイムで呟いているかもしれないという情報の速報性は、やはり他のツールでは替えがきかないものだと痛感したのです。自分にとってXは、単なる交流の場ではなく「街のリアルを映す鏡」のような役割だったのだと再確認しました。 思考を吐き出す場所から、行動を記録する場所へ これまでは、自分の考えや思考を誰かに届けようと躍起になっていた気がします。でも、これからはもっとシンプルに考えます。 今日買ったもの 今日食べたもの 部屋の様子を映した短い動画 ブログやYouTubeを更新したという事実 そうした「今やったこと」「目の前の出来事」を、自分のためのログ(記録)として淡々とポストしていく。そこに、自分の思考や余計な呟きを乗せる必要はない。そう割り切ることで、今の心の余裕を保ったまま再開できる気がしています。 ゼロからの再出発 以前のアカウントを削除する際、フォローもフォロワーもすべて解除して整理しました。幸いアカウント自体はログインすることで復活できましたが、文字通り「ゼロからのスタート」です。 でも、それで良いと思っています。過去のように「情報を共有しなきゃ」「反応を返さなきゃ」という気負いはもうありません。あくまで自分の行動記録。そして、物足りない時にはXのAI(Grok)も活用しながら、道具として使いこなしていこうと思います。 これからの付き合い方 今後は、YouTubeやブログの更新情報もこのログの中に混ざっていきます。誰かのためではなく、自分の生活の一部として。 SNSの煩わしさか...

冬の「ゴミ捨て面倒くさい」を解決!ペットボトルで作る、超機能的な「仮ゴミ箱」DIY

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暖房の効いた部屋でぬくぬく過ごしているとき、一番目につく不便が「ちょっとした用事で部屋を出ること」ではないでしょうか。 例えば、鼻をかんだティッシュ。メインのゴミ箱は台所にあるけれど、わざわざ冷え切った廊下を通って捨てに行くのは億劫。かといって机の上に放置するのも気分が悪い……。 そこで今回は、家にあるものだけで「0円」で作れる、機能性抜群の「仮ゴミ箱」の作り方をご紹介します。 100円ショップへ行くのももったいない? 「ダイソーに行けば100円で売ってるよね」 確かにそうなんですが、わざわざそのために買いに行くのも手間ですし、何より「自分しか使わない、一時的なもの」に100円出すのすら、最近はもったいなく感じてしまって(笑)。 「自分が満足できれば、どんな形でもいい」 そんな思いから、手元にあった1.0リットルの空ペットボトルを加工して、理想のゴミ箱を自作することにしました。 こだわりの「排出機構」と「組み立てのコツ」 ただ半分に切るだけではありません。こだわったのは、溜まったゴミの捨てやすさです。 工夫その1:押し出し式 ペットボトルを半分に切り、上半分をひっくり返して下半分に合体させました。こうすることで、ゴミが溜まったら上半分をパッと取り出し、もともとキャップがついていた口の部分に指を入れれば、中のゴミをグイッと押し出せるんです。「詰まって出てこない!」というストレスがありません。 工夫その2:4本のスリット 同じサイズのペットボトル同士なので、そのままでは重なりません。そこで、上半分側に縦に4本のスリットを入れました。こうすることで直径がわずかに小さくなり、下半分の中にスッと収まるようになります。高さもコンパクトになり、ベッドサイドに置くのにちょうどいいサイズ感に仕上がりました。 仕上げはAmazonの段ボールで ペットボトルのままだと中身が丸見えなので、目隠しとしてAmazonの空き箱を再利用しました。段ボールを周囲に巻くだけで、ちょっとしたデザイン性も出て、部屋に置いても違和感のない佇まいに。 制作過程はYouTubeで公開中! 言葉で説明するよりも、実際に動いているところを見ていただくのが一番分かりやすいと思います。今回の工作の様子は、YouTubeにサクッと短い動画でまとめています。ぜひチェックしてみてください。 [DIY]ペットボトルでベッドサイ...

宇宙刑事ギャバン、復活!新しい時代に「正義と勇気」が繋がることへの願い

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宇宙刑事ギャバン、復活! 新しい時代に「正義と勇気」が繋がることへの願い 戦隊シリーズの一旦終了というニュースを耳にしたとき、最初に込み上げてきたのは寂しさでした。子供たちの心に正義感や愛、そして勇気を育んできた大切な場所が失われてしまうのではないか、と感じたからです。 しかし、その寂しさを打ち消してくれたのが「超・宇宙刑事ギャバン インフィニティ」の制作発表でした。形を変えても、子供たちへ向けた「正義の教育番組」の精神は途絶えないのだと、心から安堵し、喜びが湧いてきました。 私を支えてくれた「宇宙刑事の精神」 私にとって宇宙刑事シリーズは、単なる娯楽ではありません。高校時代の3年間、学校生活で困難に直面したとき、いつも私を支えてくれたのはギャバンの姿でした。 「倒れたら立ち上がり、前よりも強くなれ」 この精神を胸に刻んでいたからこそ、乗り越えられたことがたくさんあります。私にとって宇宙刑事は、今でも忘れられない人生の指針です。 過去へのリスペクトと、それぞれの「完結」 新シリーズの始動にあたり、私たち世代が気になるのはキャストの再演かもしれません。もちろん、シリーズ全作に出演された小次郎さんの姿をまた見たいという思いもあります。しかし、当時の主演である大場健二氏の復帰が難しい現実や、作品の区切りについても考えるところがあります。 私個人の考えとしては、初代シリーズは「ギャバン THE MOVIE」、そしてシャリバンとシャイダーは「NEXT GENERATION」で、ひとつの素晴らしい完結を迎えたと感じています。2代目ギャバンの活躍も含め、これまでの作品は私の中で大切な思い出として美しく完結しているのです。 「現代の子供たち」のためのギャバンであってほしい 来年から始まる新しいギャバンに対して、私は「当時と同じもの」を求めているわけではありません。 もちろんアクションシーンひとつとっても、コンプライアンスや安全基準が厳格な現代では、当時のような過激な表現は難しいでしょう。しかし、大切なのは手法ではなく、受け取る子供たちの心です。 初代ギャバンを初めて見たときに私たちが感じた、あの胸が躍るようなわくわく感。それを、今の時代の子供たちが、今の感性で受け取れる作品になってほしい。それこそが、制作に携わる方々へ一番に期待することです。 今の子供たちのためのヒーローであること...

2025年、私が「手放して」本当に良かったもの

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2025年も残すところあとわずかとなりました。今年は自分にとって、これまでの人生で溜め込んできたものを整理し、結果的に 「引き算」 を意識した一年でした。 持ち物、情報、そして長年の習慣。これらを整理して手放したことで、驚くほど身軽になれたと感じています。 何より、これらを手放したことで得られた最大の収穫は、 「時間に追われる感覚」がなくなったこと です。 今日は、私が今年手放したものと、それによって生まれた心のゆとりについて、端折ることなく詳しくまとめました。 1. 「情報発信の使命感」と3つのブログ これまで私は4つのブログを同時に運営していました。 「何かを調べたら、すぐに世界に向けて情報を流さなければならない」という、ある種の強い使命感に常に追いかけられているような感覚がありました。 しかし、ふと立ち止まり、自分もただ一人の人間に過ぎないという原点に立ち返ってみました。無理に世間の情報をまとめて発信する役割は、もう自分には必要ないと判断し、それらを手放すことにしたのです。 • 得られたもの: これからは老後もしっかりと見据え、日々のふとした思いつきや自分の考えを、自分のためだけに記録していこう。そんな「日記」としてのブログが、Blogger一つあれば十分だと思えるようになりました。 誰かの期待に応えるための更新ではなく、自分のための執筆という、本当の意味での安らぎを手に入れることができました。 2. SNS(X・Threads)との距離 日常的にチェックし、情報を追いかけていたX(旧Twitter)とThreadsを手放しました。 • 得られたもの: 情報の波に飲まれる時間がなくなり、自分の思考の中に静寂が戻ってきました。ちなみに、Facebookは顔見知りとの交流に、Instagramは個人用のアルバムとして「無理に更新しない」スタンスで残しています。今の自分には、このくらいの使い分けと距離感がちょうど良いと感じています。 3. 時間つぶしの「無駄食い」と驚きの減量 これまでは待ち合わせや、少し時間が空いたときなど、場所を確保するためだけに飲食店に入って何かを注文する、ということが習慣になっていました。しかし、そういった「無駄食い」を思い切ってなくしました。 • 得られたもの: その結果、健康面で劇的な変化が現れました。去年の夏頃には78キロから79キロ、...

DIGNO SX3 KYG02を入手した経緯

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​長年愛用してきたスマートフォン AQUOS R は、相棒として活躍してくれたが、いかんせんAndroid 9までしかバージョンアップできない点がネックになっていた。性能面での不満はなかったものの、一部使いたいアプリが対応していなかったりして、Androidのバージョンだけが問題だったのだ。 ​同程度の性能で、できれば日本製(国産)のスマートフォンを入手したいと考えたが、実際に一般の消費者向け商品として探してみると、ソニーの Xperia シリーズくらいしか見当たらない。しかも中古で探すと、それなりの価格になってしまうため、手が出せなかった。どうしても買い換えなければならないほど困っているわけではなかったので、追加費用の発生は極力抑えたかったのである。 ​そんな折、たまたまメルカリで見かけたのが、この DIGNO SX3 KYG02 だ。 ​スペックを確認してみると、だいたいAQUOS Rと同じくらいの性能で、Android 15までアップデート可能という点なら十分だと判断した。価格的にも許容できる中古価格だったのも決め手である。 ​それにしても、このスマートフォンは改めて調べてみると、中古市場にはほとんど出回っていない。どうやら法人向けのモデルで、製造から2年ほど経った商品が多いようだ。 ​現在使っている iPhone 16 はauで契約しており、SIMはauの 5G SA (StandAlone) を利用しているのだが、このSIMがなかなか厄介で、auの中古スマホでも対応していないものが多く、逆に言えば対応している機種を探すのが非常に困難だった。その点、DIGNO SX3 KYG02は公式に5G SAに対応していたため、安心して使えるというメリットがあった。 ​実際に手にしてみると、筐体全体がプラスチック感満載で高級感は微塵もないが、ミルスペック準拠で頑丈なので、安心して持ち歩ける。夏場、汗をかくような環境でも、ポケットにそのまま放り込んでおけるのは心強い。 ​中古品ではあるが、バッテリーの持ちもまずまずで、1日は普通に使える。 ​RAM容量が4GBというのは少ないが、これはAQUOS Rと同じなので、それほど違わないだろうと考えていた。しかし、アプリの切り替え時に、前のアプリを改めて開こうとするとアプリが終了(落ちて)しまうことがある。この点がAQUOS Rと...

ブログ執筆環境のシンプル化:Googleドキュメント活用術

 ​ブログの下書きはGoogleドキュメントで行うことにした。 ​スマートフォンをAndroidだけに絞り、パソコンなどを使わない環境になったため、少しでも手軽にシンプルにブログを執筆できる環境を構築したかった。 ​Bloggerアプリの課題と代替手段 ​使用しているブログサービスはGoogleのBlogger(ブロガー)で、ご存知の方も多いかもしれないが、Androidアプリケーションの出来が全然良くない。思うような編集が思うようにできないんだ。 ​ブログ自体をテキストベースで作ることにしたから、余計な装飾などは不要になったものの、それでも編集作業は大変だったりする。スマートフォンがGoogleのAndroidなのだから、それならいっそGoogleドキュメントを使っちゃえという思い付きで書き始めたら、意外と快適だった。 ​Googleドキュメントを「メモ帳」として使うメリット ​本当はメモ帳のGoogle Keepでも良いのだけど、下書きした記事の管理が結構大変で、他のメモと混ざってしまい管理が嫌になっていた。 ​Googleドキュメントをブログの下書きに使うメリットは主に以下の点だ。 ​Googleドキュメントのアプリケーション上だと、画面の下にタブを作ることができ、記事別に管理をすることができる。 ​言い回しを変える際に置換機能を使って編集し直すこともできる。 ​執筆プロセスと効率化 ​文字の入力自体は、Googleキーボードの音声入力機能を使っている。読点や句読点などは一切気にせずに、とりあえず思い浮かんだ言葉を喋ってテキスト化しているんだ。 ​Googleドキュメントのアプリを開くと、今まで作成したドキュメントの一覧が表示される。そこの右上の三点マークを押せば、スマホのホーム画面にそのドキュメントだけを貼ることができる。だから、すぐにブログの下書きを書き始めることができて、これはすごく便利だ。 ​先ほども書いたが、一つのドキュメント内でタグ分けすることで、複数のブログ記事を書き分けることができる。書いたブログの下書きはGeminiにコピー&ペーストして校正すれば、テキストベースのブログなら更新もたえやすくなるだろう。 ​当面はこの方法でやっていく。かなりシンプルになった!

SNS疲れからYouTube Blogger Instagram以外はやめた

先日、SNSのコメント返信に疲れてしまった。 さほど人気があるわけではないので、コメントと言っても5件ほどだ。特にコメントを必要とする投稿でもないのにコメントが来るわけで、まあせっかくコメントをもらったから返信はするんだけど、真剣に考えちゃうから疲れるんだよね。 あと、過去記事にも書いたけど、他者から盗用した文章や画像・動画が見受けられるのも嫌だったからかもしれない。 過去記事▶︎ “盗用も、適当な引用も、もうやめてください。とは言いませんがブロックします。” 気楽に使っていたX(旧Twitter)やThreads、noteだったんだけど、気軽に呟くことすら億劫になってきた。 いくら気楽とは言っても、多少は文章を考えたりする時間や手間をかけているわけで、単なるつぶやきにコメントをもらうと、本当はハートマーク(いいね)を送るぐらいでいいのに、「返信しなきゃいけない」っていう気持ちになってしまって。 「そんな思いをしてまで使うメリットはないよね」と冷静に考えた結果、アカウントを削除して利用をやめた。投稿しないだけでも構わないんだけど、何らかの弾みで悪用されても困るし、放っておいてもメリットはないだろうしね。 このブログで過去に書いたことにも、自分的にはいまいちな内容なものもある。その宣伝を兼ねてSNSに投稿していたからリンクも残っていたわけで、それも一掃したかったわけだ。アカウントごと削除すれば、そのリンクも消せるから。 過去のブログのリンクがSNS上になくなったから、このブログで書いた記事でも遠慮なく消すことができる。 今までは写真を選んだり文体を調整したりをAIに任せていたけれど、基本的にはもう自分の言葉だけで書いていこうと思う。誤字脱字の校正ぐらいはAIに任せるけどね。 今書いているこの文章は、AndroidスマートフォンのGoogleブロガーアプリに音声文字入力している。それを一旦Geminiに投げて構成だけ変えてもらえば、文章としてはまあまあ成り立つだろう。 ただし、どうも アプリの作りが良くないので、今後は Google ドキュメントで下書き する予定だ。 今後、このブログはSNSのつぶやき代わりだったり、飾り気のないテキストだけの文章だったりするけれど、自分が思っていることを書いて、自然体で使っていこうと思う。

日本の難民認定制度と違法滞在者の早期特定──公正さと迅速性を両立するための改革提言

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 日本の難民認定制度は、国際的な人道支援の理念を掲げながらも、運用面で深刻な課題を抱えています。 審査期間の長期化は、申請者の生活を不安定にし、制度的には存在しない「不法難民」という誤解を生み、社会の偏見や制度不信を助長しています。 さらに、審査の遅れは 違法滞在者の早期特定 を妨げ、入国管理の健全性にも影響を与えています。 本記事では、公的データと正確な用語定義に基づき、現状と課題を整理し、制度の信頼回復と公正さ確保のための具体的な道筋を提示します。 1. 制度の現状:数字が語る日本の難民審査 1-1. 審査期間の長期化 出入国在留管理庁が公表する平均処理期間(申請から処分まで)は、近年急速に延びています。 令和元年:平均約17.0か月 令和2年:平均約25.4か月 令和3年:平均約32.2か月 日本の制度には「原則6か月以内」といった公式な処理目標はありません。 一方、EU指令では一次審査を原則6か月以内とする目安があり、これと比較すると日本の長期化は際立っています。 特に大きな要因は、申請件数が審査能力を大幅に上回ることで発生する 「待機期間」 です。面談開始までに数か月〜1年以上待たされることも珍しくありません。 1-2. 人員不足と負担の偏在 一次審査を担うのは法務省出入国在留管理庁の 難民調査官 です。 令和6年4月1日現在の「指定者数」は397人ですが、この数字は専任職員だけでなく、他業務と兼務している職員も含みます。 また、不服申立て段階では非常勤の外部専門家である 難民審査参与員 (85名)が関与します。 年間1万件を超える申請に対し、この人員規模では迅速かつ丁寧な審査は物理的に困難です。 調査官は複数案件を同時に抱え、個々の申請者と向き合う時間が限られ、詳細な聞き取りや背景調査に十分な時間を割けない状況です。 2. 長期化がもたらす社会的影響 2-1. 「不法難民」という誤解 「不法難民」という言葉は法律上存在しません。 難民認定申請自体は合法ですが、審査中に在留資格が切れると、その人は法律上「不法滞在者」となります。 この法的状態と「難民である」という主張が混同され、「不法な難民」という誤解が生まれます。 迅速な審査が行われれば...

移民は友人か侵略者か

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 最近、移民についての議論を耳にするたびに、いつも考えさせられることがあります。多くの人が「移民反対」を口にするけれど、それは単純な排他的な感情ではなく、「 侵略者 は受け入れられない」という本質的な思いが根底にあるのだと思います。 「侵略者」という言葉は少し強いかもしれませんが、それは「自国の文化や伝統を日本に一方的に押し付ける人々」を指しているのではないでしょうか。例えば、移住先のルールや習慣を尊重せず、自分たちのやり方を周囲に同化させようとするような行為。それはまるで、招かれざる客が家に上がり込み、勝手に家具を動かしているように感じられるのかもしれません。 個人的には、移民問題は「 友人 か、 侵略者 か」という二つの視点から考えるのが一番しっくりきます。ここで言う「友人」は、親友のような深い関係を求めるわけではなく、日本の社会に溶け込み、お互いを尊重しながら共に歩んでいける人々を指しています。 「友人」とは、日本の社会に共生しようと努力してくれる人々です。日本語を学び、地域のコミュニティ活動に参加し、日本の文化を理解しようと努めてくれる人々。彼らが日本の労働力不足を補い、社会に新しい風を吹き込んでくれることは、疑いようのない事実です。 一方で、「侵略者」と見なされるのは、日本の文化を軽視し、自国の価値観を優先する人々です。こうした姿勢は、単なる文化的な摩擦に留まらず、社会の分断や混乱を招きかねません。そして、その最終的な問いは、「 そこまでされてまで、日本という国は存在しなければならないのか? 」という、非常に重い問いに繋がっていくように感じます。 友人(招き入れるべき人々)と侵略者(拒むべき人々)の違い 私たちが直面している問題の核心は、この両者の明確な違いを見極めることにあると感じます。 友人(共生を望む人々) 文化への姿勢: 日本の文化や習慣、法律を尊重し、適応しようと努力する。 社会との関わり: 日本語を学び、地域のコミュニティに積極的に参加し、孤立したコミュニティを作らない。 経済への貢献: 労働力として経済を支えるだけでなく、納税や消費を通じて社会全体に貢献する。 相互理解: 異なる文化を持つ人々とも歩み寄ろうとし、互いの価値観を尊重する。...

盗用も、適当な引用も、もうやめてください。とは言いませんがブロックします。

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 SNSに流れてくるテレビやアニメの動画。正直言って、僕は不快です。 他人が一生懸命作った映像を、まるで自分の作品のように勝手に使う行為は、 盗用 に他なりません。 本来であれば、その瞬間、その状況でしか見られない、場合によっては有料でしか見られない動画や画像を勝手に切り取って、自分のSNSに投稿する行動自体がおかしいのです。テレビや映画の映像を、一部とはいえ投稿する理由は一体何なのでしょうか。単に自分の欲求を満たすためだけですよね。「宣伝にもなるからいいんじゃない」というのは勝手な言い分でしかありません。誰もあなたに頼んでいないのです。 商業作品だけでなく、他人のアカウントの画像を勝手に使っている人たちも同じです。そもそも、その画像をコピペして使うぐらいなら、元の投稿をシェアすればいいだけの話です。それなのに、あえてコピペをするのは、要は元のストーリーや文脈には興味がなく、画像だけを自分のものとして使いたいということですよね。本当に身勝手で、何のためにSNSをしているのか理解できません。自分の投稿に使うなら、自分の画像を使いなさいよと、僕は思います。 そして何より腹立たしいのは、そういうことをしている本人が「問題ない」と本気で思っていること。 さらに言えば、そういった不正な投稿に対して賛同しているようなコメントをしている人たちも同じです。受け入れている時点で、その行為を容認していることになりますから。 適当な知識で「引用元を書いてますよ」と一応リンクを貼っている投稿も同じです。引用のルールを無視して、ただURLを貼るだけ。それって、本当の 引用 とは言えません。 クリエイターの作品をリスペクトする気持ちがあるなら、正しい方法で紹介すべきです。そういう無神経さが、作った人へのリスペクトがないように感じてしまうんです。 正しい引用の方法とは? 単にURLを貼るだけでは、引用とは言えません。 せめて、以下の点を意識してみてください。 引用元を明確にする: 誰の、何の作品から引用したのかをはっきり書く。 引用部分を明示する: どこからどこまでが引用なのかをわかるようにする(例:カギ括弧を使う)。 引用の必然性を書く: なぜその部分を引用したのか、自分の意見や感想を添える。 ...

ポメラ愛用者がなぜChromebookに乗り換えたのか?ミニマリスト的デバイス選びの結論

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 「書くこと」に集中したいとき、余計な機能や煩わしさは邪魔でしかありません。 かつて、私はキングジムのポメラという、文章を書くことに特化したデバイスを深く愛用していました。物理的にネットに繋がらないことで通知やウェブサイトの誘惑から完全に解放され、電源を押した瞬間にすぐに書き始められる圧倒的な即時性が最大の魅力でした。 しかし、そのポメラが壊れてからは、ブログの更新がとても億劫になってしまいました。高価な中古品には手が出ず、数年間はノートパソコンやスマートフォンで代用していましたが、ポメラのようにサッと書き出せないため、更新は気が向いた時だけになっていました。 最近のAIの進化は、そんな私の執筆スタイルを大きく変えました。iPhoneで書いた下書きをAIに構成させるという新しいやり方が、想像以上にスムーズで、ブログ更新が以前よりはかどっている事実があります。 そこで私は考えました。このスタイルにChromebookを追加すれば、さらに効率が上がるのではないか。ポメラのコンセプトである「集中できる環境」と、AIの「効率性」を両立できる新しいデバイスとして、Chromebookが最適な選択肢だと確信したのです。 この記事は、かつてポメラ愛用者だった私がなぜChromebookを選んだのか、その具体的な理由を、自分の実体験を交えながら記録として残しておこうと思います。 1. ポメラに似た使用感:シンプルさと圧倒的な即時性 WindowsやMacのノートパソコンが多機能ゆえに起動や操作が複雑になる一方で、Chromebookはポメラのシンプルさを知る私にとって非常に快適でした。OSがChromeブラウザと必要最低限の機能に特化しているため、電源ボタンを押してからわずか数秒で起動し、すぐに作業を開始できます。これは、ポメラの「書くぞ!」という衝動を逃さない感覚に驚くほど似ています。 中古で購入した私のChromebookは、決してサクサク動くわけではありません。動作に一瞬の間がありますが、それが不快ではないのです。まるで電子ペーパー端末のような、画面の切り替えにわずかな間がある使用感が、かえって集中を途切れさせません。このわずかな待ち時間さえも、私にとっては「書く」という行為の一部になっています。 ...

僕の執筆環境はポメラからChromebookへ。ブログもYouTubeも捗るAI活用術

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「ブログを書きたいけど、なかなか文章がまとまらない」「アイデアは浮かぶのに、書き始めるのが億劫になる」…かつての僕もそうでした。完璧な文章を最初から書こうとすると、どうしても手が止まってしまうんですよね。 Chromebookをポメラ代わりに導入したら、そんな悩みが嘘のように消え、ブログの執筆が進み、YouTubeの動画撮影もやりやすくなったという僕自身の体験談です。 私は かつてのポメラ愛好者 でした。 DM5、10、11、20、100、200 と、歴代のポメラを使ってきた生粋のポメラ愛好家でした。ブログや小説を書くのに、外部のノイズをシャットアウトして執筆に集中できるポメラは、本当に素晴らしい端末でした。 書き出す文字がすべて自分の言葉になる喜びは、書く人にとって何物にも代えがたいものです。しかし、ポメラでの執筆には一つの大きな壁がありました。それは、「調べる」という行為です。 執筆中に何かを調べたくなったら、一度ポメラから離れてスマホやPCに持ち替える必要があります。そして、そこで得た情報をポメラの記事に取り込むのは非常に面倒で、実質的に不可能に近い作業でした。 さらに、新型が出るたびに価格が高騰し、もはや気軽に手が出せる価格ではなくなってしまったことも、ポメラから離れた理由の一つで、しばらくはスマホやノートパソコンで執筆をしましたが、億劫になり更新が止まっていました。 そんな私が、今回改めて Chromebook を導入したところ、ブログ執筆が驚くほどはかどり、さらにはYouTube動画の作成までスムーズに行えるようになったんです。 なぜ今、Chromebookなのか? 以前にもChromebookを試したことはありましたが、その時はあまり本腰を入れてブログを書いていなかったこともあり、良さに気づくことはありませんでした。 しかし、最近では 生成AI が当たり前になり、執筆の環境が大きく変わりました。 頭の中にあるアイデアをゼロから文章にする作業は、書く人にとって最も大変な作業の一つです。でも、生成AIを使えば、そのハードルがグッと下がります。思い浮かんだキーワードをAIに投げかけるだけで、文章の骨組みを作ってくれる。これを使わない手はありません。 スマートフォンでもAIは使えますが、画面が小さく作業しにくい。かといって、いちいちノートPCを立ち上げるのも面...